「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第90話 働き方改革とマネキン制作(企業内作家)

長時間労働や過酷な職場環境による自殺や過労死がニュースになっています。今、政府の重要法案の一つとして『働き方改革』が検討されています。今日の「働き方」を語るには敗戦を体験した日本独自の勤労の歴史を無視することが出来ないと思います。空襲や原爆の被害を受けて焦土と化した戦後の日本を昼夜厭わずに働いて僅かな期間で日本を世界の経済大国に発展させたことは驚異的な事で世界の人達を驚かせました。
空襲を経験し、疎開生活を味わって終戦を迎えた私たち同士は丁度その世代に当たります、物質的にも貧しく発展途上だった我が国の労働条件は厳しく、復興のために過酷な労働に耐える「猛烈社員」があたりまえの時代でした。
今日では、インフラ整備や技術革新も進み、人工知能(AI)の普及が進むなかで、状況はすっかり変わりました。
検討されている「長時間労働の是正」には即さない職種もありますが、マネキンの原形制作もそんな職種だと思います。私は美大を卒業した年にマネキン会社に就職して、幾つかのマネキン会社を経験しながら75歳まで企業に関わって、いわゆる企業内作家の生活を続けることになりました。それぞれのマネキン会社に多少の違いはあるものの、マネキンの造形はあくまでも作家個人の力量が問われる世界です。原形制作の部門に残業という概念はないのが一般的です。従って残業手当は存在せず代わりに特別手当が適用されており、いわゆる「成果主義」と言えるでしょう。原形制作には常に制作期限がありますが私はなかなか納得できる作品に仕上がらなくて、締め切りに間に合わせる為に自ずと長時間労働にならざるを得ませんでした。定時に仕事を終えられた記憶はほとんどありません。もっと良い物が作れるはずだという思いはいかんともしがたいものがあります。

私はマネキン会社に勤めながら自分なりの試作研究を進める重要性を感じ、研究所的な場所を求めて1990年秩父にアトリエを作りました。当時のマネキン界では毎年展示会で新作を発表しておりオリジナルなマネキンの開発がかなり盛んな時代でした。毎週末は出来るだけ秩父のアトリエで過ごし、ここで研究し実験した成果が新しいマネキンの開発に役立ったと思っています。当然私の労働時間は増えたことになりましたが、これはあくまでも私の仕事の流儀であって決して推奨するわけでは有りません。
作らなくてはならない物と自分が作りたい物とが同じであれば休みがなくても仕事が遊びになるのでしょうが現実はそううまくはいかないものです。しかし自分の力量をわきまえた上で市場を丁寧に観察していれば作らなくてはならないものと作りたいものとは限りなく近づいてくるものだと思います。

毎年新作を発表していた頃は、市場もそれを期待しておりオリジナルなマネキン開発が企業の競争力でもあました。仕事の後は会社のアトリエでよく酒を飲んでお互いに議論したものです。時には営業の人達も加わったり、そんなところから新しいアイディアが生まれたり共通のテーマを確認しあえたり貴重なコミュニケーションの場だったと思います。
サラリーマンの概念から見れば会社の体をなしていなかったと言われそうですが、良いマネキンが多く作られた時代でした。
新しい技術の革新はこれからの職業や働き方をどのように変えるのでしょうか?マネキン界も3D技術を活用した造形など行われているようです。新しい技術の活用で表現の可能性が広がると同時に新たに手仕事の魅力やその可能性も見えてくるのではないかと思います。これからのマネキンの動向を楽しみ注目したいと思っています。