「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第91話 マネキン企業から離れて

私は75歳まで企業内で仕事をしましたが70歳以降は次世代に知識や技術を伝え企業内作家を育成する役割を主に、実際に原形を作る作業は若い作家の手助け、黒子役に徹する生き方をしてきました。

マネキンの製作は使われる市場の要望に如何に答えるかという役割と同時に新しいマネキンを開発、提案して新たな需要を開拓する役割があると思います。流行に敏感なファッション業界のニーズに応えるマネキンの仕事はやはり若い感性とパワーが不可欠です。

マネキンの原形制作は、顧客と接し、またメークやデザイン、生産、営業に携わる同僚と意見を交わし、そんな日常の中から制作すべきマネキンの発想が生まれるもので、市場を明確に意識する時、その興奮が創作のエネルギーになっていたと思っています。意欲ある制作者へ、経験してきたすべてを伝えていくことが私の役割だと考えています。

まだ企業に勤務していた1991年にプライベートな制作の場として秩父にアトリエを作りました。
マネキン業界から離れても、街に出ればマネキンやディスプレイが目に止まり、新たな発想を自分のアトリエで試作した時期がありましたがそれ程売れるマネキンになるとは思えず、あえて企業に提案することはしなかったので商品化されることはありませんでした。街では抽象的な顔の同じようなマネキンばかりが使われていますがそれはかつて無かった時代の大きなうねりの様な物を感じます。時代の風潮を冷静に分析してみたいと思っています。

アトリエの試作で終わった作品のいくつかは一般の美術展『人がつくる、ひと。』展。(愛媛県・文化ホーラム春日井)や『Sculpture 立体造形 出版記念』展(ARTBOX GALLARY 東京銀座)などに出品する機会がありました。

長かった企業内作家時代を振り返り、かつての記録、資料などを見直せば、売れるマネキンを作らなければならないというプレッシャーを私はとても強く感じていたことが分かります。原形を作る仕事は既にあるマネキンを作るばかりでなく企業独自のマネキンを開発し続けることが重要です。本来マネキンは技術者の手作業で作られるアート性の強い、付加価値の高い商品ですが売れなくてはマネキンの企業は成り立ちません。原形制作はその狭間での葛藤の連続だったように思います。

マネキン会社から離れた今はマネキンに拘ることなく自由な発想で制作できる環境ですが、自分の美意識や造型に対する考えは長年マネキンの世界で培った感性が基本になっているように思います。いわゆる彫刻家や画家といわれる作家達と交流する時など、特にそれを感じさせられます。私はそれを肯定した制作をしていきたいと思っています。

数年前、あるきっかけで磁器を素材にして作品を作る機会がありました。以来、人体や顔をテーマにした陶彫の制作を続けています。東日本大災害の翌年に、今後10年間継続を目処に『災害復興支援チャリティーオークション』展が毎年、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催されています。本年度は熊本地震の復興支援も対象になっています。私は立体作品も出品可となった2015年度から陶彫の小品を出品しています。このような活動にはこれからも出来る限り参加していきたいと思っています。マネキンの世界と陶芸とのかかわりは、実は結構古い歴史があります。その話を次回に少し紹介したいと思います。