「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第88話 マネキン 新たな時代の予感

マネキンに関わる人たちには取り分け興味ある企画の展覧会が群馬県立館林美術館と京都国立近代美術館で開催されています。
群馬県立館林美術館で開催の『再発見!ニッポンの立体』(7月16日―9月19日)には、1952年に向井良吉さんが制作したマネキンFW61(杉野学園衣装博物館)、1938年に荻島安二がマレーネ・ディートリッヒをモデルに制作した『マスク』(東京国立近代美術館)など、あまり目にする機会のない貴重な作品が出品されています。他に、七彩工芸(現・七彩)時代、1971年に制作したスーパーリアルな人体造形『仲間』(東京都現代美術館)も出品されています。
マネキンの企業は、使われなくなったマネキンを毎年数多く破棄し、より多くの新作を生産して市場に投入することで企業を拡大してきました。売れる商品(マネキン)を作ることは重要なことですが新しい商品を開発するきっかけとなった仕事(作品)や時代を動かすきっかけとなった仕事(作品)も同時にとても重要です。しかし過去のマネキンはほとんど残されて居らず多くは写真資料でしか知ることが出来ません。企業の努力によって保存されているマネキンや、僅かではあっても美術関係の学校や、美術館に所蔵されている作品を、今回の様な企画の展覧会でまとめて見ることが出来るのは有りがたい事です。
『再発見!ニッポンの立体』は群馬県立館林美術館のあと静岡県立美術館(2016年11月15日―2017年1月9日)・三重県立美術館(2017年1月24日-4月9日)に巡回して、開催されます。

京都国立近代美術館では『あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術』(7月29日―9月11日)同時開催で『七彩に集まった作家たち』(7月27日―9月19日)が開かれています。

私は京都美大を卒業した1957年、七彩工芸に入社して、初めてマネキンの仕事を経験することになりましたが一方で彫刻を制作して二科展に出品していました。七彩では村井次郎さん向井良吉さん毛利武士郎さん八木一夫さん鈴木治さん他、現代美術の第一線で活躍の錚々たる作家の下で大いに刺激を受けながら、彫刻とマネキンの制作を自分なりに二刀流という意識で制作していた正に熱く燃えた時代でした。当時の七彩ではマネキンの原形作家が彫刻を制作して団体展などで発表する事を啓蒙する風潮がありました。彫刻家、画家、陶芸家、デザイナー、などが集まって、実験的な創作活動が盛んでした。『七彩に集まった作家たち』展ではそんな七彩の最も元気だった時代のエスプリ豊かな造形を見ることが出来ます。物には恵まれないまだ復興途上の時代でしたが、やることが元気で面白い時代でした。
『あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術』の時代背景は前述した七彩展と重なります。この二つの展覧会は、私自身、彫刻とマネキンの狭間で制作に苦悩し、迷いながら熱く燃えた時代で、その頃の記憶をよみがえらせる展覧会です。今日では同世代の仲間、先輩アーティストの殆どは既に故人となられました。
長い年月を重ね、マネキンの世界も随分変わりました。当時と比べ今は物質的にも、はるかに豊かな時代ですが、今のマネキン界は残念ながら当時ほどの活気はなく、 ディスプレイも一様で、魅力的だとは言えません。
時には歴史の事実を正しく検証し、新たな時代を創造する糧とする事は大切なことだと思います。

最近マネキンの制作に関わる若い人たちと話し合う機会がありました。それぞれに、今日のモダンだけど新鮮味の無い独創性の感じられないマネキンやディスプレイに疑問を持っているようです。彼らはリアルマネキンの時代を知らない人たちです。使う側の人達も同じです。彼らが志向する新たなマネキンはどの様なマネキンか?それをいずれ街で見られるのがとても楽しみです。最近マネキン企業も女性の原形作家を積極的に採用するなど、原形メンバーを充実させる動きが見られます。
偶然かも知りませんが同時期に開催された、展覧会など、周囲の動き等からも、私はマネキンが新たな時代に向かって動き出したように思います。

災害復興支援チャリティーオークション展・京都芸術大学ギャラリー@KCUA(9月10日-9月19日)立体小品3点を出品しました。

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