「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第79話 FRP樹脂と彫刻の制作 (私の場合)

マネキンが樹脂で作られるようになった事はその後のマネキン企業を大きく変えることでもありました。
 ファイバーでは作れなかった色々な造形が可能になったことでマネキン会社はその技術を生かし、店装や店舗の設計、施工、環境美術、などの分野に積極的に進出し、折からの高度経済成長の波に乗って事業を拡大していきました。事業の多角化は一方でマネキン軽視の傾向を強めることでもありました。今日ではマネキン会社と銘打ってはいるものの企業の売り上げの中でマネキンの占める比率はごくわずかというのが実態です。FRP樹脂という素材はマネキン・ディスプレイ界にとって革命的な出来事だったばかりではなく大量生産大量消費、消費は美徳という風潮を生み樹脂という素材があらゆる意味で高度経済成長の牽引力になったと思います。
 前述しましたが、私は京都でマネキン会社、七彩に入社してマネキン制作と彫刻と両立させる生活を続けていました。美術活動に会社の理解があったとはいえ、会社勤めをしながら彫刻を作る時間を捻出することはとても難しいことでした。学生時代、セメントに興味を持って作り続けてきたセメントによる抽象彫刻は新たな生活の中ではそぐわないものを感じていた時、FRP樹脂という新しい素材と出会いました。マネキンの原型を作る仕事は想像していたよりはるかに難しく奥深い世界で私には会社の就業時間内でできる仕事ではありませんでした。それは商品としてのマネキン造形とその可能性に向かっての挑戦の始まりでした。
 私がセメントを素材に作ってきた彫刻は大雑把に言えば「時間をかけて構想をまとめ幾つかの小品でフォルムやコンポジションを検討し、その小品をもとに作品の置かれる場所(空間、環境)を想定して適当な大きさの作品に実作する」その工法から言っても発想から完成までかなり時間のかかる作業でした。
 セメントに対してFRP樹脂は、硬化する時間が速く作業性が良い、複雑な形の成形にも適している、軽くて丈夫、いろいろな塗料で着色出来る、など、とても便利な素材です。マネキン会社でFRP樹脂を使っていろいろな作業を経験しているうちに彫刻に対する新しい考えが生まれてきました。彫刻家にとって樹脂は石や木や鉄などのように材質そのものが持つ魅力は感じられませんが成形の物つくりには、魅力のある素材です。学生時代のようにマイペースで時間をかけて彫刻制作をすることが出来ない会社勤めの生活では、こま切れのような時間をうまく使って、その時々の感情や思いや出来事を日記のように形に記録する、うまく説明できませんが、そんな精神の発露のようなものを形に留める。そんな彫刻を作りたいと思いました。最初に大まかなデッサンで構想をまとめ、あとはデッサンに縛られることなく日々の感情に任せて実作で形を作っていく、展覧会が近づけば適当なところで作業をストップさせる、時間切れで制作を中止せざるを得ないことは作家にはよくあることです。邪道といわれるかも知れませんがFRP樹脂はそんな制作方法が出来る素材だと思いました。写真の作品はそのような方法で作った作品です。この作品を二科展で発表するとなると私が今まで出品してきたセメントで作った作品とはまるで違った作品なので彫刻家としての姿勢が問われるのではないか?今までの私の作品を支持してくれた人たちを裏切ることになるのではないか?というためらいがありました。いろいろなテストや試作はアトリエ内で行うもので発表する作品は筋を通すもの、自己のスタイルをより完成させ高めていくものというのが一般的で、私も反対ではありません。私の場合これは実験的な作品ですが生活や環境の変化とともに新たな実験はこれからも繰り返されるだろうと思いました。開き直った気持ちで2点の作品を展覧会に出品しました。思いがけずこの作品が二科銀賞を受賞することになりました。1971年には第4回現代日本彫刻展(会場・宇部市野外彫刻美術館)が「材料と彫刻・強化プラスチックスによる」というテーマで開かれました。今ではどの展覧会へ行ってもFRP樹脂の彫刻はごく当たり前のように多く見かけるようになりました。ほとんどはブロンズや木や石や陶彫などと見間違えるようにうまく着色されていますので目には樹脂であることは分かりません。これもFRP樹脂の特性、素材を生かした彫刻と言えるのでしょうがこの場合、多くは着色の技術によって樹脂の素材感を消し去ろうとしているように思います。

  • 写真:FRPで制作した作品・第46回二科展出品(断層)1961年   H 150㎝
    写真撮影・筆者