「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第48話 マネキン制作の思い出の地 スペインを訪ねて

1963年、私はスペインのマネキン会社、インターナショナル・コッペリア社からの招待を受け、フランスのマネキン作家ジャンピエール・ダルナさん(日本のマネキン・ディスプレーに大きな影響を与えた。2000年2月、78歳パリにて死去)の原型制作を手伝う為にマドリードのアトリエで制作をすることになりました。当時ダルナさんはパリのプランタンデパートのアート・ディレクターをしながらこのデパートで使うマネキンをマドリードのインターナショナル・コッペリア社で制作していました。コッペリア社は更にスペインのガレリヤ・プレシャドスというデパート(当時スペインで唯一のデパート)で使うマネキンの制作を担当していました。そのデパートはマドリードのほかにグラナダ、セビリア、コルドバ、マラガ、などの主な都市にも店がありましたので、期の終わりに、打ち合わせの為、ダルナさんが各都市の店を訪れる機会に同行させてもらいアンダルシア地方を旅する事ができました。年間のコレクションの制作を終えて帰国した1964年は東京オリンピックの開催、1970年には日本万博EXPO70の開催など日本は国際化に向けて急激な変化の時を迎えていました。

何もかもが重厚でゆっくりとした時間の流れの中で、僅かな期間でしたがスペインやパリで豊かな歴史を体感して過ごした私は日本の現実とのギャップにとまどい感じながら企業の一員として日本の経済成長に向かって新たなマネキン制作を模索する事になります。1963年当時、海外旅行はまだ自由化されておらず。1ドルが360円の時代でした。以来今日まで約半世紀、日本の経済や社会は大きく変わりました。

2010年11月に思い出の地スペインを訪ねました。スペインで唯一のデパートだったガレリヤ・プレシャドスはその後、合併などがあって今はエル・コンテ・イングレスと名前を変えてやはりスペインで唯一のデパートとして在りました。日本の都市は常に新しく変化し続ける事が発展の証であり魅力とされており常に速さが求められますが、スペインは何処も昔とあまり変わった印象はなく半世紀前の思い出がリアルに甦る旅でした。歴史と文化が受け継がれ息づいている実感がありました。文化に対する価値観の違い強いては幸せ感の違いを感じさせられます。

私は以前ニューヨークの近代美術館でピカソの代表作「ゲルニカ」を見て強い衝撃を受けました。現在「ゲルニカ」はスペインに帰りマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターに展示されています。スペインを代表す画家、ミロやダリの作品も展示されています。その美術館で、4~5歳の幼稚園児の団体が先生に引率されて「ゲルニカ」を鑑賞している光景に出会いました。他にミロやダリの作品の前でも同じ光景を見ました。幼稚園児が団体で現代美術館を訪れるなど、日本では考えられない事で、私にはとても刺激的で感動させられる光景でした。かれらに現代美術が理解できるかという問題ではなくこのような環境で育つということはとても大事な事だと思っています。

今回のスペイン旅行は、世界遺跡と美術館を訪ねる旅でした。スペインでは産業の1位が工業、2位は観光、3位は農業だそうです。バルセロナでの、ガウディの建築、(サグラダ・ファミリア、グエル公園など)、ピカソ美術館、ミロ美術館、ダリ美術館、マドリードの国立ソフィア王妃芸術センター、プラド美術館(スペインが誇る3大画家ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品群)などは主要な観光スポットとして世界から多くの人が訪れており、美術家の作品が実際に国の経済を潤おし世界の人々の精神の糧になっている事は素晴らしい事です。

経済大国といわれる日本ですが、物の豊かさに心の豊かさが伴わない現実を思うとき、それは経済の発展を目指す一方で、とても大事なものをおろそかにしてきた歪んだ成長の姿を見る思いがします。美術に携わる私たちの役割について思いを新たにしています。

  • 写真上段より:
     マドリード 国立ソフィア王妃芸術センターにて
     1)ピカソの作品「ゲルニカ」を鑑賞する子供たち
     2)ダリの作品を鑑賞する子供たち

     写真撮影・筆者