「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第47話 向井さんとのお別れの会

11月23日、東京世田谷の向井良吉さんの自宅アトリエで、・向井良吉先生とのお別れの献花・がいとなまれました。向井さんは、このところ床に臥しておられましたが、記録的な猛暑が続く中、9月4日に亡くなられました。92歳でした。現代彫刻の巨匠 向井良吉さんはマネキン・ディスプレーの世界でも大変大きな役割を果たされました。マネキン界での向井さんについて、限られた紙面ですが足跡を偲び、哀悼の意を捧げたいと思います。

向井さんは東京美術学校時代(1937年)に島津マネキン(島津製作所を創業した島津源蔵の長男・島津良蔵が創業)でマネキン製作を初めますが1941年、太平洋戦争の勃発に伴い、召集を受けて陸軍に入隊、南太平洋の激戦地ラバウルに送られます。悲惨な戦いで死を覚悟したもののここで終戦を迎え9死に一生を得て復員し、戦後、1946年、島津良蔵と共にマネキン会社 七彩工芸(現・七彩)を設立し、社長に就任します。1972年には47社が加盟して日本マネキン・ディスプレー商工組合(JAMDA)が結成され初代理事長に就任(1978年まで)されます。業界の総合展 ジャパンショップを開催するなどさまざまな活動を通して業界の結束、発展に寄与されました。1978年に社長を退任され、経営の一線から退かれてからは1981年4月から武蔵野美術大学の教授に就任され(1984年から主任教授)後進の指導にあたるなど、それらの活動が関連しあってスケールの大きな向井芸術が形成されたのだと思います。そして向井芸術の根底には人間に対するヒューマニズムの精神が深く宿している事を感じます。それには太平洋戦争でのラバウルの悲惨な戦争体験があったと思います。

向井良吉さんとの出会いは、私が1957年、京都美大卒業の年にマネキン会社七彩工芸に入社した時から始まります。当時、東京は世田谷の深沢にアトリエがあり、向井さんは東京に居られたのでそれほど頻繁にお会いする機会はありませんでした。63年に世田谷の経堂に新しくアトリエが建てられ開発部門のメンバーが集結することになりました。やがて其処も手狭になり原型のスタッフだけが世田谷上町に移ることになりました。上町のアトリエは向井さんの住居アトリエに隣接した所に建てられました。向井さんのお宅とは庭続きで上町アトリエのスタッフはみんな向井さん一家とは家族同様のお付き合いをさせていただきました。

上町アトリエ時代は制作には厳しくも、自由で良い環境の中で原型スタッフはのびのびとお互いに良い仕事をしたと思います。目を開いたまま型取りをする技法(FCR技法)を開発したのは上町アトリエ時代のことで、FCR技法を使って新しいマネキン、PALシリーズを制作、また七彩グループを結成して「視覚の錯覚」展を渋谷西武デパートで開催、第11回日本国際美術展に七彩グループが招待されて作品を発表したり、私がインターナショナルコッペリア社の招きでスペイン マドリードのアトリエで、ダルナさんの制作に協力する貴重な体験が出来たのも上町アトリエ時代のことでした。

1979年会社の命で私は京都本社に転勤、生産工場と原型・彩色の管理を命じられ私の上町時代は終わります。

今思えばマネキンをより理解する上でこの京都時代は貴重な体験だったと思いますが。管理の仕事が続く中で私自身の活路は物作りにしかないとの思いが募り。1986年末、29年間勤務した七彩を退職して東京へ戻る事になりました。向井さんはすでに社長を退任され武蔵野美術大学の美術学部主任教授に就任されていました。

私が東京に戻って他のマネキン会社で制作するようになってからも、向井さんのお宅と私の住まいが近所だということもあって何かと向井さんのお宅にお邪魔して貴重なお話を伺う事ができたことはとても幸せだったと思っています。向井さんから人生を学びました。向井さんは七彩の創立者であり七彩の人でしたが一企業を超えてマネキン・ディスプレー界の発展のために活動された事は向井さんを語るうえでとても重要な事です。向井さんはマネキンを文化のレベルでとらえ、本物の・ものづくり・に対する壮大なロマンがあったことを感じます。1990年後半、バブル景気が怪しくなりはじめた頃よりマネキン業界も厳しい時代を迎え、新作展示会には同業者の入場はお断りという風潮が一般化してきます。そんな業界の閉塞的な状況を向井さんはとても残念に思っておられました。どの世界であれ厳しい競合なくして発展はあり得ないと思いますが、偏狭なセクショナリズムの中からは業界のパワーも発展も望めないでしょう。

向井さんとのお別れの会、生前と同じアトリエに伺い、七彩の京都時代の仲間たちとも何十年ぶりに再会し、向井良吉さんの思い出を語り、あらためて向井さんの大きさを感じています。

  • 写真上段より:
     1)向井良吉さん
     2)向井良吉作「プッペ」マネキン

     写真・『マネキン美しい人体の物語』晶文社より