「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第44話 マネキンとモデル

美しい女性を「マネキンのような綺麗な人」という言い方をした時代がありましたが、今ではそのような例え方はほとんど聞かなくなりました。今の若い女性はとても体形の美しい女性が多くなりました。マネキンのようなプロポーションの女性は決して珍しくありません。私がマネキン制作を始めた頃から50数年来、日本女性の体形の変化・進化は目を見張るものがあります。同時にマネキンとそのモデルとの関係もモードの変遷と係わりながら変わってきました。

過って日本におけるマネキンは女性の理想像、憧れの美しい体、更には夢のプロポーションを表現してきました。私たちがマネキンを作るための参考資料といえばVOGUE誌など専ら西欧のファッション誌からモデルを選んで制作していました。なんといっても西欧に対して憧れの強い時代でした。とは言うもののマネキンに着せる服は日本の女性が着るように作られていますのでマネキン制作ではサイズや表現に微妙な操作が必要で、西欧的だがあまり西欧人らしくなく、どこかにいそうだけど実際には存在しない国籍不明のマネキンならではの美しい女性を創作する事が求められたのです、現実的だけどどこか違ったもの、そのずれ、落差の加減がマネキンの魅力になります。マネキンはあくまでも人間のコピーではなくマネキン独自の美の創作でもあります。リアルなマネキンとモデルとの付き合いは付かず離れず微妙な関係が続いてきたと思います。

特定なモデルをマネキンに表現して成功した例としては1965年にミニスカートの女王と言われたツイギーをモデルに、イギリスのアデル・ルースティン社が製作したツイギー・マネキンをあげることができます。このマネキンはモデルとそっくりに作られているばかりでなくマネキンとして従来の形式を超えた魅力的な作品で日本でもツイギー風のマネキンが作られてヒットするなど一時代を作ったマネキン史に残る作品だと思います。以来特定のファッションモデルや人気タレントなどのそっくりマネキンなどが作られましたが、成功したとは言えません。先ほども述べましたが、マネキンには人間のコピーではないマネキン独自のリアリティーがなくてはなりません。

マネキンは服を着せる為にかなり細かな部分までサイズが決められています。一見サイズに縛られたとても不自由な造形だと思われますが、人間の体はサイズは同じでもその形はそれぞれ決して同じではありません。きれいなプロポーションの女性がモデルになる事は事実ですが、理想的なプロポーションのマネキンが出来たからと言って良いマネキンとはならないわけで、その形に口では言い表せないある力が宿らなければ魅力あるマネキンとは言えません。マネキンのモデルに出会える場は雑誌の中であったり街中であったり電車の中であったりその気で観察していればいろいろな所にチャンスがあります。‘マネキンになる,と思ったモデルに出会えたときは情況が許せばモデルにお願いする時もあれば、写真を撮らせてもらうときもあれば、ただ記憶にとどめておくなどさまざまですが、この時点では全く作者の主観、好みの世界ですので、マネキン的な女性でない場合も多く、然し最初はモデルにできるだけ似させるように作ることで色々なものが見えてきたり新しい発見があったり、制作の過程で自分の感覚に従い何を加えていくか何を省略するか、そうしたプロセスを経ながらマネキンのテーマに近づけていく事になります。モデルから誘発されたもの、モデルが気付かせてくれた魅力を如何にマネキンの形の中に宿す事ができるか。所詮、作品は作家の器以上のものは作れないわけで、これは永遠のテーマと言えるでしょう。

マネキンのような女性と言う言葉は最早 死語になりました。今日ではマネキンが限りなく人に近づいて来たと言えるでしょう。VMDの世界で多様化、個性化の進む中でマネキンは必ずしも美しいモデルの表現ばかりではなく、マネキンも多様な表現が見られ、造形物として、マネキンは私たちの生活により身近なものになって来たと言えるでしょう。