「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第43話 マネキン 抽象と具象

近年、彫刻家やフィギアの作家、人形作家などの作品と共にマネキンを出品する機会が増えてきました。過去にはあまり例がなかったことです。
このような展覧会が企画されることは、それぞれの分野で素材や表現方法など互いに関連しあい各分野との線引きが曖昧になってきたという背景があると思います。
この機会に異なる分野の作家たちの人体造形に対する想いをより深く知る事は、マネキン独自の世界を再確認することにもつながる貴重な機会だと思います。

展覧会に私はスーパーリアルに近い表現のリアルマネキンと抽象的な顔の作品を出品しました。同じ時期に抽象的な作品と具象的な作品を作って同時に発表することは今日のマネキンの世界では一般的なことで、モードの流れや多様な市場のニーズに対応していくためにはむしろ不可避なことだと思っていますが、具象的なヌードの彫刻を作って美術展で発表している彫刻家にはとても奇異に感じられたようです。

今は、街で抽象的なマネキンを多く見かけるようになりましたが、過って、リアルなマネキン全盛の時代に私は抽象的なマネキンFIGUREシリーズを制作して1977年 「’77七彩」展で発表しました。この作品は私が抽象的なマネキンを製作した最初の作品ですが、FIGUREシリーズはユーザーのニーズに応えて製作したものではなく、新しいマネキンを使った、VISUAL PRESENTATION の提案として制作したものです。

1970年代はマネキン・ディスプレー界にとって変化の激しい、激動の時代でした。私のマネキン人生の中でも、とても刺激的でマネキンの可能性に賭けた熱い時代でした。

1971年に目を開いたまま顔の型を取る技法(FCR技法)を開発、七彩の技術者、有志7名でグループを結成しFCR技法で自分自身を型取りして分身を作り『視覚の錯覚』展といった一風変わった展覧会を西武百貨店渋谷店で開催しました。FCR技法によるこれらの作品は1974年には第11回日本国際美術展(東京ビエンナーレ1974)にグループが招待され、出品することになりました。先に記した今日の展覧会と意味合いは違いますがマネキンを美術展で発表する事は1970年の初めにすでに経験していた事になります。

ディスプレーの傾向は日常の生活のスタイルをドラマチックに演出してファッションをビジュアルにプレゼンテーションすると言う新たな時代を迎え、生活の様子をリアルに表現したインパクトの強い新しいタイプのマネキンが求められるようになりました。アクションがオーバーでディスプレー映えのする西洋のマネキンが競って導入され日本のデパートの主要なウインドウやステージを飾るようになりました。このような新しいディスプレーに対応できるマネキンの開発が急務となりました。

1974年、FCR技法を駆使して全く新しいタイプのスーパーリアルマネキン(PALマネキン)の開発をスタートさせました。FCR技法でマネキンを作ることは世界にも例のなかった事で、PALマネキンの開発は企業にとっても原形作家にとっても大きな賭けでした。幸いPALマネキンは商品性とニュース性を備えた新しいマネキンとして市場に受け入れられ、PALマネキン全盛の時代が数年続くことになります。
私はリアルなマネキンを追求しながら一方で、服をきれいに着こなして見せるディスプレーの為のツールとしての新しいマネキンの開発が不可欠だとの思いが高まっていました。スーパーリアルマネキンの制作にのめり込む事によって見えてきたもの、気づかされた世界と言えば良いのでしょうか、それがリアルマネキンを制作しながら同時に開発した抽象的なマネキンFIGUREシリーズです。以来、抽象的なマネキンの需要の高まりと共に私の制作方法として定着していますが確かにマネキンならではの特殊な事かもしれません。

いずれの場合であれ、作家は何故作るのか、なんのために作るのか?が重要な事で、そこからスタイルや様式が生まれるのであって、先ず様式やスタイルありきでは無いと思います。

  • 写真上段より:
     1)左:実際のファッションモデルをFCR技法を使って制作したPALマネキン
         モデル・山佳泰子 1976年発表
       右:写真1のマネキンの部分(顔)
     2)抽象的なマネキンFIGUREシリーズ
       1976年制作 ’77七彩展で発表
     3)FIGUREマネキンの部分(顔)

     写真提供・筆者