「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第83話 レアルマネキンの回想

マネキンは服装の流行や店舗のディスプレイと深くかかわりながらその時々の憧れの女性像を表現してきました。マネキン人形の製作を目的にスタートしたマネキン産業も幾多の変遷を得て今日ではマネキン企業でマネキンの占める割合はごく僅かとなり店舗の設計や施工など広くディスプレイの総合的なメーカーとして活動をしています。数多いディスプレイ業界の中で、マネキン制作の技術ノウハウが生かされた仕事が特徴で評価されているようです。

マネキン業界を大きく変えた出来事は1959年にポリエステル樹脂がマネキンの素材として実用化された事でした。軽くて強く、複雑な形でも成形しやすいなどポリエステルの特性はマネキン以外にもいろいろな造形物の開発を可能にした正にマネキン界にとって革命的な出来事でした。
 1950年から60年中頃まではイージーオーダー服全盛の時代で服はマネキンに着せて売る販売方法で、売り場でマネキンが大量に使われた時代でした。1960年前半をピークにイージーオーダー服の時代はプレタポルテ(既製服)の時代へと変わっていきます。マネキンも既製服の標準サイズを着こなすことが条件となりマネキンは人間のサイズにより近いサイズで作られるようになります。マネキンの需要が高まると同時に個性化が進み多品種少量生産の傾向に向かいますがポリエステル樹脂による製法はそんな市場の需要にもうまく対応できるものでした。

 1967年に「ミニの女王」と言われたモデルのツイギーが来日、ミニスカートがブームになります。イギリスのマネキン会社、アデル・ルースティン社がツイギーをモデルにツイギーマネキンを発表します。日本でも小枝のように細くてチャーミングなツイギーの魅力を表現したツイギー風マネキンが作られ市場で数多く使われました。黒人のファッションが注目されると黒人モデルのマネキンが作られるなどレアルマネキンの志向が高まります。1972年にはパリコレクションにアジア系モデルとして日本のファッションモデル山口小夜子さんが初めて起用されヨーロッパで「SAYOKOマネキン」が作られ日本女性ブームを起こしました。日本でも大いに影響はありましたが日本では西洋人、黒人、日本人というカテゴリーでの好みでなく、日本でもハーフなど西洋的なモデルがもてはやされた時代で、特に黒人モデルのマネキンや、あまりにも日本人を思わせるマネキンは日本ではあまり好まれなかったようです。特定のモデルをレアルに表現したマネキンは使われる場が限定されるので日本の市場に限らず抵抗があるようです。先にも書きましたがツイギーマネキンもツイギー風のマネキンがより多く使われた理由もそこにあると思います。

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    1787年に制作したサンローランのオリジナルマネキンです。その頃サンローランはテレビコマーシャルに黒人のモデルを起用していました。サンローランの原色の大胆な色彩の対比、直線的なシルエット、独特な高級感がうまく表現されていました。マネキンも黒人のモデル独特の美しさバランスをいかに表現するかがポイントになりました。顔も思い切って黒人顔にしましたが半抽象的な表現にしたのは成功だったと思います。メークはなく全体を艶のある黒一色にしました。制作 トーマネ時代

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    1990年に日本女性をモデルに6体シリーズで制作したマネキンです。体型や顔に日本女性の特徴を表現しながらどこかハーフっぽい女性像を作りたいと思いました。アーバンライフを気ままに楽しむ小粋でアクティブな日本女性が制作のコンセプトになっています。制作 トーマネ時代

    写真提供・筆者