「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第57話 45年ぶりの再会

フランスのマネキン作家ジャン=ピエール・ダルナさんのマネキン制作を手伝う為に私がスペイン マドリードのマネキン会社で仕事をしたのは1964年のことです。マドリードにはジャン=ピエール・ダルナさんの弟 フィリップ・ダルナさんが住んでおられたので、私は家族同様の付き合いをしていただき海外での始めての体験も不自由なく安心して過ごすことが出来ました。フィリップ・ダルナさんはムニック夫人と2人の息子、エリック君(当時12歳)、ローラン君(当時8歳)の4人家族でした。

その後一家はフランス郊外の田舎に移り牧場生活をされていたこともあって、会う機会もなく過ごしてしまいましたが、6年前にフィリップ・ダルナさんは亡くなられたそうです。

昨年2010年、長男のエリック・ダルナさんがフランス企業の日本駐在員として来日しフランソワーズ夫人と2人、東京で生活することになりました。それを機に母、ムニックさんと弟のローラン君が東京に旅行で訪れる事になり昨年3月21日、西新宿のエリックさんのマンションで、私は45年ぶりに皆さんと会うことが出来ました。スペインでの数々の思い出が鮮明に甦り、とても感動的な再会でした。

そんな感動を、ひとつの顔の造形に込めて男の顔を作りたいと思いました。特定の人の顔を作るのではなく、再会出来たことによって45年間の空白の歴史と、その感動を何か形にして留めておきたいと思いました。素材は鉛(金属)を使い、それに色を塗って更にそれを削りだすことで形を作るという初めての表現を試してみました。

この作品は『コッペリア マネキン(スペイン)の思い出』と言うタイトルで2011年4月に東京渋谷のギャラリーTOMで開かれた、堀内正和へのオマージュ展 に出品しました。

再会から約1年が過ぎた2011年3月11日東日本大震災が起きました。同時に発生した原発事故は国内外に大きな衝撃を与えエリックさんも六ヶ月間の予定でバンコクに非難することになりました。エリックさんから、私たちにも一緒にバンコクに避難するよう支援の誘いを受けましたが、この災害がビジネスに係わる人たちにも広く被害を及ぼしていることを知らされました。あれから六ヶ月が過ぎましたが、原発事故による被害は風評被害も含め広い範囲に広がっており、終わりの見えない大変な事故に現代に生きる我々は遭遇していることを厳粛に受け止めなくてはなりません。

エリックさんに再会できたことがきっかけで制作した作品でしたが、日本を離れたエリックさんにこの展覧会を見てもらうことは出来ませんでした。

  • 写真上段より:
     1)エリックさん宅にて、右より弟のローランさん、母堂ムニックさん、エリックさん、夫人フランソワーズさん
     2)ギャラリーTOM出品作品、
       上)『顔』(210年再制作)FRP、油彩
       下)『コッペリア マネキン(スペイン)の思い出』 鉛、アルミ、FRP、アクリル絵の具

     写真提供・筆者