「マネキンの話 ーマネキン作家が語るー 欠田 誠」

第11話 ポップ道1960s-2000s展について

東京都現代美術館(常設展示室)でポップアートの活動を紹介した展覧会が開催されています(会期・2007年10月20日→2008年4月13日)

この展覧会に出品されている作品、・仲間 七彩工芸グループ(欠田 誠・加野正浩)・(写真参照)は1970年に七彩工芸の技術スタッフと目を開いたまま顔の型取りをする技術(FCR技法と命名)の開発に成功し、マネキン制作に活用する前にテストとして作者自身をモデルに制作を試みたもので、スーパーリアルマネキン誕生のきっかけとなった思い出の作品です。

この一連の作品で1971年に西武百貨店渋谷店で「視覚の錯覚」展を開催しました。

1974年には第11回日本国際美術展(東京ビエンナーレ1974)。1975年 第1回東京展。1977年 毎日選抜美術展。1980年 まがいものの光景 現代美術とユーモア展(国立国際美術館)。1983年 現代のリアリズム展(埼玉県立近代美術館)。1987年 親と子で見る現代美術展(東京都美術館)。などに出品されました。マネキンの歴史を語る上でも重要な意味を持った作品群だと思いますが、現存するものは極めて少なく、おそらく東京都現代美術館で所蔵されているこの3体以外見る事は出来ないと思います。他には、1975年にFCR技法で岡本太郎さんの全身を型取って制作した岡本太郎マネキンが、青山の岡本太郎記念館に展示されていますで、そこで在りし日の岡本太郎さんに会う事が出来ます。

1970年代はVMD(ビジュアルマーチャンダイジング)の導入により新しい売り場作り、売り方が志向され、マネキン・ディスプレイ界にとって、大きな変革の年でした。戦後の団塊の世代がファミリーを形成するニューファミリーの時代を迎え、スポーツ・カジュアルな若者のファッションや生活のスタイルが新しい世相を作りました。当時の日本のマネキンはVMDにもとづく新しいディスプレイには適さないと、よりインパクトの強いマネキンが効果的だという理由で欧米のマネキンが競って日本市場に導入されました。

日常の生活をリアルに表現した今までとは違ったインパクトの強い新しいタイプのマネキンが求められ、世界のマネキンはますますリアルな傾向が強くなっていました。エキサイチングでドラマチックなディスプレイが一世を風靡した時代です。

1974年にFCR技法を使ってスーパーリアルなマネキンの開発をスタートさせました。

若者の日常の生活をよりリアルに表現するために、モデルはプロのファッションモデルを使わず、街でかっこいい若者を探し、若い男女のグループ6体のマネキンを制作し、日常の自然なポーズをそれぞれ組み合わせることによって、幾つかの生活のシーンのディスプレイが可能になり、サイズも従来のマネキンサイズにこだわらず、モデルのサイズ、体型で作り自然な感じを表現しました。

スーパーリアルマネキン(PALシリーズ)の開発は市場に日本のマネキンを取り戻したいという強い思いがありました。

このPALシリーズ マネキンは1975年、ジャパンショップ75で技術開発賞、日本商工会議所会頭賞を受賞しました。

続いてプロのファッションモデルをモデルにしたPALマネキンを制作したり、ポーズバリエーションを増やすなど、いろいろなディスプレイに対応できるようシリーズの充実に努めました。PALマネキンは商品性とニュース性を持った新しいマネキンとして市場に受けいれられ、PALマネキンの時代がしばらく続きました。